(あくまで私が彼女と直接会話したり、思い出して得た情報に基づいています。一般に向けて主張したり、押し付けるものではありません。)

 

生誕:西暦4年8月4日    エジプト・アレクサンドリア

死没:西暦64年1月30日 ウェールズ・メネビア(現セントデイヴィッズ)

家族:夫:ナザレのイエス(紀元前2年~紀元後32年)

   長男:ヨハネ(紀元後24年~78年)

   二男:ユダ(紀元後28年~47年)

   長女:サラ(紀元後32年~93年)

    二番目の夫(事実婚):使徒ヨハネ(紀元後10年?~80年?)

   二女:イヴァンナ(紀元後45年~90年)使徒ヨハネとの間の娘

イエスとは5歳離れていたようです。

エジプト人です。色黒の方です。

ただ、アセンデッドマスターとして出てくるときは色白にもなります。

わりと高貴な家柄で、お嬢様だったようです。

いつも私と話してくれるマグダラのマリアも、お嬢様の雰囲気を醸し出しています。

ただ、「あなただから話せるけど」と打ち明けてくれたのは、生きていた頃は割と性格がきつかったようです。仕えていたイシス神殿でも、他の巫女と衝突することが結構あったとか。

イエスと親しかったことを嫉妬され、ペテロに追い落とされたのも、私にも原因がある、と。

10歳くらいの時からエジプトのイシス神殿にイニシエートとして仕えます。

イニシエート、というと、日本人にはなじみのない言葉ですが、マグダラのマリアはいつも「性的なエネルギーを司る巫女、性の巫女よ」と説明してくれます。

マグダラのマリアは、イエス・キリストとなる人物と結婚し、彼に莫大な生命エネルギー、性的なエネルギーを与えるという役目を与えられて遣わされたそうです。

もちろんそれだけではなく、イエスの教えを誰よりも理解する使徒として、イエスの死後も伝道する役割も……。しかしそれは、他の弟子たちによってつぶされることになってしまいます。

巫女としての修業を終え、実家に戻ったころにイエスと出逢います。

しかし、性の巫女の象徴としてつけていた腕輪を、娼婦がつけている腕輪だと、他の弟子たちに誤解されてしまったそうなんですね。2000年にも及ぶ彼女に対する誤解は、この時から始まっていたのでした。

唯一彼女の出自を理解してくれたイエス以外の人物が、聖母マリアでした。

実は聖母マリアも、同じ腕輪を持っていたのです。

そう。聖母マリアも、マグダラのマリアと同様、性の巫女としてイシス神殿に仕えていたのです。先輩、後輩の関係だったんですね。(ただし、専門とする分野は異なります。とマグダラのマリアは話してくれました。)

聖母マリアも性的なエネルギーを司る秘術を身に付けていたからこそ、処女懐胎が可能だったのでしょう。本当に処女懐胎なんてできるの?とマグダラのマリアに訊いたら、「母や私のように修業を積んだ者ならできます。今の人たちにだってできるんですよ。」と話してくれました。

イエスとは事実婚のような関係ではなく、ひそかに挙式も挙げていたそうです。恋愛結婚というよりは、親族間の政略結婚の色合いも帯びていたとマグダラのマリアは言います。

その後はイエスの傍に仕えますが、イエスが生きていた頃から他の弟子、特にペテロとは上手くいっていなかったようです。

イエスが処刑されることもマグダラのマリアは分かっていたと言います。

イエスが処刑された時、マグダラのマリアは長女サラを身ごもっていました。

そして、マグダラのマリアに対する迫害と追い落としが始まります。

既にイエスとの間には長男ユダがいましたが、イエスに息子がいることをよしとしない弟子たちによって拉致されてしまいます。

ユダは殺されはしなかったようですが、以降消息不明となり、二度と母マリアと再会を果たさないまま母に先立ち若くしてこの世を去りました。

当時19歳、独身でしたので彼の子孫はいないことになります。

というより、おそらくイエスの血統を残すのはまずいというペテロ勢力の意向で、生きていても結婚して子どもを持つことは許されなかったでしょう。

マリアは自身の死後、ユダの守護霊となって彼を守りたいと強く願っていました。

しかし私(守護天使エマニュエル)から、すでにユダは亡くなっていると聞かされたときの、彼女の悲嘆は果てしないものでした。

話を元に戻しますと、彼女はすぐにイタリア、フランスへと亡命し、無事に長女サラを出産します。

しかし、「正直に言うと、女の子だったことにとても失望したの。育てたくないと思ったの。」とマグダラのマリアは打ち明けてくれました。

絶対に男の子で、彼がイエスの意志を継いでくれるに違いない。と思っていたそうです。

「でもそれって、男尊女卑じゃない?」と私が言うと、彼女は「そうなのよね。だから本当は私に女性を差別する人たちを非難する資格なんかないの。」と言います。

その後しばらくは、現在も(公的に?)マグダラのマリアの聖地とされているサントボームで娘を育てながら支援者、信徒とともに生活していたそうです。

しかし決して豊かな暮らしを送れたとは言えず、またイエスの血統を根絶やしにしようとする追っ手の存在も見え隠れし、心休まらない生活だったそうです。

ただ、現在伝えられているように、最期までサントボームにいたわけではありませんでした。

サントボームでの伝道生活は、(宗教組織ではよくあることですが)弟子たちの足の引っ張り合いがあり、マリアにとって心休まるものではありませんでした。

疲れ果てたマリアに、私はウェールズというマリアが心休まる場所があると、伝道の役目を終えて静かに余生を暮らすことを提案します。

マリアは最初は頑なでしたが、私の言葉を受け入れ、西暦43年、現在のイギリスのウェールズ地方南西部の小さな港町、ソルヴァに退去し、晩年の20年を静かに過ごしました。自分の身に起こったことを回顧しながら……。

一人ではなく、使徒ヨハネが一緒でした。彼は、イエスの弟子時代から他の弟子に妬まれがちだったマリアの、唯一の理解者でした。最初から最後まで。

それどころか、ヨハネとは事実婚のような親密な関係にありました。

ヨハネとの間に、マリアにとっては4人目の女の子となる、二女イヴァンナをもうけています。

最期は乳がんに侵されていましたが、直接の死因は、体が弱っているところにインフルエンザにかかったことでした。満59歳で亡くなりました。

長女サラの血筋は、中世のテンプル騎士団に受け継がれ、長男ヨハネ、二女イヴァンナの血筋も、それぞれの地域に伝わっています。

なので、現在イエスとマグダラのマリアの血を引いている人は世界にたくさんいるのですが、特にこだわることでも、探し出すことでもないと、マグダラのマリアは言います。

マグダラのマリアの死没から500年。その地は、後にウェールズの守護聖人となったセント・デイヴィッドが修道院を立てて、カトリックの聖地となりました。

もちろん、セント・デイヴィッドはマグダラのマリアが晩年をこの地で過ごしたことを知っていたのでしょうね。

私も、守護天使エマニュエルとして、ずっと彼女に寄り添っていました。

「私の希望、エマニュエル。」

マリアは私のことを、いつもそんな風に言ってくれます。

 

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