私立の中高一貫校だったので、6年間同じメンバーでした。高校受験はもちろん、中学の卒業アルバムもなく、中学の卒業式は形だけで、いつもの終業式でした。

あとは部活かな。公立の学校のように顧問の先生は部活に関与しません。合宿についてくるくらいです。部活の指揮は、最高学年である高校1年、2年がとって下級生全体を指導する形が、どの部活でも取られていました。また、部活の引退は高校2年の9月で、それ以降はずっと受験勉強です。公立学校の方は高校3年の2学期まで部活をやると初めて聞いた時はとても驚きました。

そういった意味では、公立中学から高校受験をされる大多数の方とはかなり異なった中高生活だったのでしょうね。

うーん、学年数百人いて、一人も「友達になりたい」と思える人がいなかったんですよね。この感覚をどうお読みの方に伝えればいいのか分からないのですが、とにかく、全員がうっとうしい。一人でいたい。

あまり孤立するといじめの標的になるので、形だけは何人かと仲良くしていましたが、それすらも苦痛でしたね。

もっと孤独に生きても良かったのかもしれない。

部活も、学業優先の学校で体育部含めてゆるかったこともありますが、自分は何をしたらいいのか分からず、4つも掛け持ちしていました。

結局、4つどれもものにすることができなかったし、そもそも帰宅部でも良かった気もするのです。

友達も部活も没頭できない分、学業に集中していたので、同じ成績の人が集う中でも成績は良かったです。

ただ、さっき書いた、算数の挫折の話。

中学校で算数は数学と名前を変えますが、どうも自分、「算数」というか計算はできても、論理的思考力を必要とする「数学」は苦手だったんですね。

また、代数と幾何に分かれますが、幾何はさっぱりで、赤点を取っていました。

あんなに生まれたころから数字が好きな自分だったのに。

数学の成績が下がる一方。

大きな挫折を味わいました。

進学校はどこもそうでしょうが、表向きは「難関大学に合格してこそ未来が広がります」なんて言います。でも、進学実績を出してナンボの世界なのです。だから、一人でも多く東京大学あるいは医学部に合格者が出るように教師は誘導します。

私は高校になる頃には、「東大に行かないと人生の負け組」と言わんばかりの雰囲気に、大きな違和感を抱いていました。それでも、狙えるならと東京大学への進学を考えていたのですが、学力が及びませんでしたね。あんなに算数ができた自分でしたが、文系のコースを選びました。しかし東大は、文系だからこそ数学ができないと合格できないのです。結局は、後に書く体調不良で受験することもかなわなかったのですが、もし受験勉強を重ねていたとしても及ばなかったと思います。

私の人生が大きく狂ったのが2004年です。

今にして思えば、マグダラのマリアの生誕2000年にあたる年でした。狂う、というか、その後への道筋として大きな転換点をこの年に迎えたのでしょう。

年の初めから忙しくしていて、自分では意識しない色々な葛藤もあったでしょう。精神的に不安定になっていました。急に同級生に向かって怒鳴り散らしたり、かなり危うい状態でした。

悪質な嫌がらせを受けまして。

「長谷川は後輩に肉体関係を迫って持った」

という噂を流されたんですよね。

あ、話していませんでしたが、男子校です。

なぜかそれを後輩は否定せず(はやし立てられて否定できない雰囲気になってしまったのだと思います)、私は気持ち悪がられて部活を永久追放されてしまったのです。

目の前が真っ暗になった私は、包丁を胸に突き当てる形で自殺未遂を図ります。

忘れもしない、2004年7月4日のことでした。

あの年の夏はとても暑かったことをよく覚えています。

さらに追い打ちをかけたのが、体育祭というイベントでした。

最高学年の高3が竹刀を振り回して後輩を怒鳴り散らす、まぁありがちな軍隊式のイベントだったのですが、それ自体は嫌だったですが、他のことと比較すればそこまでトラウマではないのです。

しかし、自分が高3になった時が、一番怖かった。

自分以外の全員が、体育祭に染まっていったんですよね。まるで宗教のように。

髪を派手に染めたり、逆に体育祭が終わるとバリカンで全員丸坊主になったり。

ただただ、恐怖だった。

私は学校に行けなくなってしまいました。

親には知られたくないので、(親も自分が登校した後仕事に行くので、途中で帰ってきても分からないので)学校に行くふりはするのですが、学校の最寄りの駅までついた時に、足がガタガタ震えて一歩も前に進めないのです。

そのまま家に帰ってくる日々が続きました。

体育祭が終わって、自分も上手く気持ちを切り替えて登校できるようになったのですが、学年のうち一人だけ(他にもいれば心強かったのですが)期間中ずっと休んでいた自分を、触らぬ神に祟りなしのように扱う同級生も、引き続き気持ち悪かったです。

出来事としては一過性のものでしたが、「もう誰も信用できない。自分は大多数の人間の価値観とずれている。これでは生きていけない。」という絶望的な信念が、このとき根付いてしまったように思います。

そのまま卒業まで行かせてくれるのかと思いきや、ダメ押しするように、卒業文集に「長谷川は同性愛者です」と書かれ、卒業アルバムにも、写真に「男の子大好き」と落書きされました。

私の傷は……。

中高の同級生を、許さなければならないのだろうか?

そもそも、許すほどに怒っているのだろうか?

マリア、教えて……。

それでも導かれるように大学はいいところに進学することができました。

そこでもまた、大変だったんですけどね……。

一人だけ、友達として関係を続けていた中高の同級生がいました。「光と影」で少しお話しした人です。しかし、彼もまた、私がいかに体育祭で傷ついたかということを分かってはくれなかった。

2年前、彼の結婚式に招待されたのです。

殆どが職場付き合いの招待者で、純粋に友達として呼んでくれたのは僕ともう一人の同級生の2人だけでした。

だから、彼がいかに私のことを大切に思ってくれていたかは分かります。

しかし彼は、結婚式の自作スライドで、体育祭に熱狂する写真を皆に誇らしげに見せました。

それを見て、私は気分が悪くなり、結婚式をそのまま中座しました。

そして、「前々から思ってはいたけれど、やはり君にも僕が体育祭でどれだけ傷ついたか、分かってもらえないようだ。さようなら。」とそのまま縁を切りました。

相手に自分のことを全て分かってもらおうと思うのはおこがましいことは分かっています。

それでも、自分は、体育祭で傷ついた自分を、理解できなくても知っているはずなのに、自分を呼んでおいてあんなスライドを見せる彼のことを許せなかった。裏切られた気持ちになったのですね。

でも、彼には失礼ながら、全く彼と縁を切ったことに後悔はありません。

むしろすっきりしました。

彼ともまた、一人でいるのが怖くて、ただつながっていただけだった。逆に彼に失礼だけれども。