ここまでで既に6000字です。ここまで読むのをやめずにお読みいただいている全ての方に感謝します。

大学時代は、それまでとはだいぶ趣の違う人生の一コマでした。

友達になりたい人、そして親友になりたい人が人生で初めて見つかった。……でも、なれなかった。

それと、キリスト教への興味、接近と、信仰が理解できずに離れたことですね。

先にキリスト教の話をしましょうか。

高校2年からの2年間でかなり参っていたので、宗教に救いを求めようとしたのです。

キリスト教のサークルがあったので軽い気持ちで入ったのですが、今思うと自分は怖い者知らずでした。そのサークルの卒業生のうち、半数は聖職者の道を選ぶという、ガチのサークルだったのです。

皆さん、表向きはいい人でしたよ。というか、表向きなんて言ったら失礼なんですけどね。

大学1年の時は合宿にも参加しました。

でも、学べば学ぶほど、イエス・キリストの何がいいのか、自分にはさっぱり分からないんですよね。

教義は、福音派と呼ばれる、悪口は書きませんが、進化論を否定するようなかなりがっちりしたものでした。

みんな(自分以外はクリスチャンでした)と讃美歌を歌えば歌うほど、なぜ、この「主」、イエス・キリストはそんなにあがめられるのだ?贖罪って何だ?十字架刑の必要性って何?

聖書を読んでも、私にはさっぱり何が伝えたいのか、分かりませんでした。

今になって、私はイエスの恋敵だから、前にも書いたように、本体エマニュエルはマリアを放棄したイエスを好きになれないからだと分かるのですが、当時は、イエスの行いを全く理解できない自分自身が不可解でしたね……。

まじめに聖書を最初から最後まで通読していたこともあったんですよ。

しかし、守られるかのように、私はマグダラのマリアのマの字も知ることなくキリスト教から離れました。

「聖書には、私の本当のことは一切書かれていないから。」

今となってはマリアも当たり前のように言うし、自分も当たり前のように分かるのですが。

しかし、マリアの守護天使として覚醒する上で、キリスト教、ガチのクリスチャンと触れ合うというのは欠かせない体験だったのでしょうね。今はそう捉えています。

もし聖職者となったサークルメイトが私がマリアについて書いているこのブログを見たら、どう思うだろうか……?と全く気にならないかと言えば、嘘になりますけどね。

ただ、「十字架につけて……」とギターを弾いて賛美しながらむせび泣くサークルメイトを見て抱いた強烈な違和感の答えは、まだ完全には出ていません。

私も今はマリアを想って泣いちゃいますからね。(アクアを想ってもですけど。)

しかし、マグダラのマリアの守護天使として覚醒し、再び(ペテロの宗教として、マリアと対立するものであっても)キリスト教に触れた今もなお、やはりイエスの十字架刑の意味はどう考えても分かりません。きっと、そこに大きな意味があるのでしょう。

 

そのサークルで、私は生まれて初めて、「この人と親友になりたい」と思う人に出逢いました。

かっこよくて、優しくて、香水のいいにおいのする……。まるで今のミカエルのような。いや、この時の経験があったからこそ、今の僕のミカエルに対する信頼、愛情があるのです。

しかし、その彼と親友になる夢はかないませんでした。

なんか感情が行き違って、ケンカして、すぐに仲直りできずに一言も話せない関係になってしまったのです。

そこから私はまたズルズルと落ちていきました。

「なぜ彼は僕と仲直りしてくれないのだろう?せめて何か言ってほしい。嫌いなら嫌いと言ってほしい。でも、何にも言ってくれない。苦しい。分からない。……」

大学2年から卒業まで、ずっとその彼に執着して苦しみ続けていました。

当時(今はやめました)mixiをやっていたのですが、私が彼がマイミクのまま(閲覧できる状態)で、彼のことを連日書き始めることを始めました。

自分では悪口のつもりはなかったですが、「〇〇が僕と仲直りしてくれない。理由が分からない。誰か教えて。」

そのような日記に誰からもコメントはつきませんでした。

当然のことだったのかもしれませんが、私は「みんな僕のことを見捨てるんだ」と悪い方に捉え、疎外感に覆われていきます。

そしてついに、その彼に直接メールを送って気持ちをぶつけることをはじめました。

最初は「どうして何も言ってくれないの?嫌いなら嫌いって言ってくれるだけでいい。」という穏やか(でもないですかね)なものでしたが、段々エスカレートしていき、

「今日大学ですれ違ったけど、また僕を見て嫌そうな顔したでしょ。最悪。」

と、彼を攻撃するような内容に変化していきました。

返信は一度もありませんでした。

私は彼が何の気持ちの意思表示もしてくれないことが一番辛かったのですが、逆に彼は、メールアドレスを変えたりマイミクを外したりは最初から最後までしませんでした。

彼も苦しかったのだと思います。

もう卒業してから7年も経つのに、性懲りもなく、「今だったら仲直りして親友になれるかも……」と思っている自分がいます。

昔のアルバムに残る彼の写真を見ていると涙が出てきます。

私は今でも彼のことが好きです。

どうして親友になれなかったのだろう。

人生最大の後悔です。

たとえ会えなくても、お互いの心の中で仲直りができたらいいと今でも思います。

 

関係をメチャクチャにしたのは、もう一人います。

今書いた彼のことで悩み、相談して仲良くなった別の男性と、私はまた関係をおかしくしてしまいました。

この話をすると複数の方に異口同音に指摘されることで、自分でもそう思います。

その人と「一体化」してしまったんですね。

出来事は一瞬でした。

その男性が不良グループと付き合い始め、喫煙を始めたのです。

それだけです。

でも自分は、あの、高校の時に同性愛の噂を流された、あの時以上に、自分の中の何かが大きく崩れ去る感じがしました。

自分はその男性に頼り切っていました。

何か、とてつもない裏切りをされてしまった気がした。

それを聞いた日から、私はしばらく一睡もできなくなりました。

病院で睡眠薬を処方されても全く効かない、極度の不眠症に悩まされることになりました。

その彼とも、火に油を注がれるような悪循環でした。

自分が相手のことを分かれないのに、相手に自分のことを分かって欲しいと思うからいけなかったのかもしれない。

自分の怒る気持ちを抑えて、彼に「煙草をやめて欲しい」と言っても、「どうして俺の喫煙にお前が干渉するの?」という反応をされました。

当然のことかもしれませんが、私にとってはとてもとても悲しい反応でした。悲しみを通り越して、友情は憎しみ、殺意に変わっていきました。

先ほどの男性のことをmixiに書くのと並行して、私はmixiに彼の悪口を書き始めます。

彼からは反応がありました。「ごめんね。だけど、俺の悪口書くのやめてほしい。」と。

しかし、肝心の、私がタバコをやめてもらいたいという思いは、全く伝わりませんでした。

彼がマイミクを外すと、私は彼に直接「タバコやめてね!」という嫌がらせのメールを、連日送るようになりました。

それはどんどんエスカレートし、数年続きました。

二人の男性に対する執着。

それが、自分の大学時代でした。

人間関係の悩みを忘れたいがために、学業に没頭して、表彰状をもらうほど成績は優秀だったんですけどね……。

今にして思えば、高校まで20年近く続いた「友達なんかいらない」という気持ちの反動が出たのだと思います。

 

そして、もう一つ、大学時代を語る上で外せないのが、進路、就職の話です。

元々、自分は、高校生の頃から、いやもっと言えば物心ついた頃から、自分は大人になったら何になりたいのか、全く思い描けずにいました。「勉強はできるけど、その先はないな」と。大学でも、学問の専攻すら決められず、そのまま卒業に至ってしまったほどです。

自分の感覚と、世間の多数派の感覚が致命的にずれてしまっていることも、二十歳を迎えてはっきりと感じ取っていました。

その中で、「企業で、会社で働く」という選択肢は、私の中には全くありませんでした。

私はリーマンショックの学年にあたり、就職活動は先輩方の売り手市場から一転、厳しくなっていました。

大学2年から就職活動を始める同級生も多くいました。

その同級生たちを見て、自分は疎外感を募らせていました。

かといって、大学院に進んで研究者になるという道も、自分には考えられませんでした。

確かに大学の授業を受けるのは好きでしたが、自分で論文を書きたい、研究者になる、というイメージが全く思い浮かばなかったのです。

大学の先生が言っていたのを今でも覚えています。

「君たちは会社で働くか、私のように学者になるか、それも嫌だったらプー太郎になるしかない。」

そうなのか……。

私には何の道も用意されていないのか……。

結局私は、一度も就職活動をすることなく、自慢になりませんが、リクルート(なのかな?)の就職サイトにエントリーすることも、一度もリクルートスーツを着ることもなく(そもそもスーツを買いませんでした)、大学に提出する進路報告に「無職」と投げやりに書いて卒業しました。