ここまではね、もう過去のことと冷静に書けるのですが、ここから先の話はまだリアルタイムの傷です。だからこそ、向かい合ってみようと思います。

大学は、卒業式には出席しませんでした。おめでたい気分ではなかったし(というか、もうどん底でしたね)、大学から卒業したくなかった。いつまでも大学生でいたかった。

最初の年は、「もぐり」として大学生活を続けることを試みます。

出身大学だけでなく、一般の人もシラバスと時間割を閲覧できる某大学にも行っていました。

でも、楽しくないんですね。それはそうです。永遠に大学生でいられることなんて、できないんですから。

いつかは自分が何をするか、何になるかの決断をしなければならない。見えないタイムリミットにおびえていました。

精神的にも相変わらず不安定で、ひたすら親友になりたかった先述した彼のことを思っては、「〇〇~!」と彼の名前を叫びながら涙していました。

まずは友達がほしかった。かっこよくて、やさしくて、いいにおいのする男の子……そんなの、彼しかいない。

先に書いてしまうと、それだけ心の底から苦しみ求めたからこそ、ミカエルと出逢った時の心からの喜び、信頼につながっていったのです。だから、やはり、起こる出来事には意味があるんだ。

そして、2011年の暮れ、ついに自分は「〇〇と無理心中したい」と真剣に言い出し、入院することになってしまいます。

強制的な入院ではありませんでした。自ら望んでの入院でした。ただ、自分が、もう、どうしようもない、完全に詰んでしまった自分をリセットするには、医療の力を借りるしかない。

そう思ったのです。

薬については様々なご意見があるかと思います。ただ、大量の投薬でエネルギーを鎮めた結果、自分はようやく彼に対する執着から離れることができました。あの時の自分には、こうすることでしかあの状態から脱することはできなかったし、マリアたちの判断だったと思っています。

入院期間は1ヶ月半ほどでしたが、退院してから数ヶ月は全く体が動かせませんでした。薬の影響というよりは、彼への執着のエネルギーを全て出し切った結果、頭も体もエネルギーが枯渇したのでしょう。動けるようになったのは6月。半年かかりました。

 

しかし、ここから再生の道を歩むかというとそうもいかず、今度は女性性、母性を求めてしまう、というのが自分の新たな課題になってきます。

就労支援施設というものに通うことになりました。私は不本意でしたが、何とか就職してもらいたいという親のプレッシャーに抗うことはできませんでした。

通っている方を差別するつもりはありません。しかしそこは、精神疾患を負われている方が通所するところなので、不安定とはいえ精神病ではない私はどうしても浮いてしまうんですね。

それでも私はそこに1年半通いました。

それは、施設の人がお母さんのようで、一緒にいるだけでとても癒されたからです。

正直、ただそれだけが目的でした。

最初にちらっと書きましたが、私は肉の母親を母親として愛することがどうしてもできません。

何か虐待を受けたわけではありません。

しかしどうしても、好きになれないのです。

男性への執着を乗り越えた結果、次の課題として表出したのでしょう。

しかし、施設の人はあくまで施設の人です。

支援はしてくれますが、お母さんにはなってくれません。

その施設の人が、家庭の事情で退職することになってしまいました。

私はひどく落胆し、施設をやめることを宣言しました。

就職のためではなく、その女性に癒されるために通っていたわけですから、私からするともう通う理由は何一つないのです。

2014年春、私は再び完全無職になります。

振り出しに戻ってしまいました。

しかし、大学を卒業したての頃とは焦り具合が違います。

20代も後半に差し掛かっていました。

自分はこれからどうしたらいいのだろうか?

不安で不安でたまりませんでした。

自分なりに努力はしました。

「勉強はできるから、資格を取ったらいいのではないか?」

大学の時に簿記2級の資格を取っていたので、そこからステップアップして税理士の資格を取ろうとしました。

勉強している時は楽しかったです。

でもやはり、つかの間の楽しみなんですよね。

どうにも動かない現実から逃避するための勉強。

その事実と向き合いたくなくても、やはりそうでした。

そして何よりも、資格は取れても、税理士として働いている自分が全くイメージできないんですよね。

結局、私は途中で税理士の試験勉強をやめてしまいました。(税理士の講座を受ける前の決断だったので、金銭的な損失は少なかったです。まぁ、そんなことどうでもいいのですけれども。)

 

父親が助け舟を出してくれたこともありました。まぁ、今の自分の正しい道を思えば、助け舟どころか泥舟だったのですが……。

父親が独立して会社を立ち上げたいから、お前は副社長になってくれないかと言うのです。

働かなくていい、会社にいるだけでいい、名前だけでいい。なんて。

確かに副社長として莫大な収入が保証されるかもしれません。

しかし、私には、まだ霊的感覚は開花していませんでしたが、社員紹介のようなものに、悲しげに「副社長 長谷川明範」と写真に写る自分がはっきりとイメージできました。

そんなの、自分の人生じゃない。

自分は父親の申し出を、即断りました。

 

今思えば全くそんなことはないのですが、自分は勉強ができる以外に能がないとしか思えない自分がいて(マリアが泣きます。苦笑)、もうプロの家庭教師や塾講師くらいしか残された道はありませんでした。

しかし、ここでは、明かな妨害が入ったのです。ミカエルとマリアが妨害してくれたのでしょう。

家庭教師は、契約が決まったと思ったらご破算になってしまうことが何度も続き、会社側に悪意はなかったのでしょうが、オファーが全く来なくなってしまいました。

そして塾講師は、いわゆるブラックバイトです。採用面接の際に「1年間は辞められません。途中で辞めた場合は違約金をいただきます。サインしてください。」と迫られて、拒否して不採用になりました。

テストの採点のアルバイトを見つけてそれで食いつなげないかとも思ったんですね。そこでも妨害が入りました。システムエラーで、登録ができないのです。運営会社に問い合わせても、的を得ない返事で、結局そのアルバイトをすることができませんでした。

些細なアルバイトだと自分では思っているけれど、そこで食いつないでしまったら、自分がこちらの道に進むこともなかったのかなと思います。

 

再び父親から、大学への再入学を進められました。強いて興味があったのは、計量政治学という学問です。しかし、授業は楽しくても活き活きと研究者として活躍している自分の姿など、全く見えませんでした。

臨床心理士になることも考えました。民間の講座ではなく、きちんと大学院に入って、です。しかし見えるのは、やはり同じなんですね。院生のうちは学びを楽しめるけれど、自立して働き始めた時に活き活きとしている自分が見えない……。ただ、色々考えては消えていった他の選択肢と比べると、選ばなかったとはいえ少し感覚が違ったような。それは、その選択肢が今の仕事に少しだけ近づいたからなのだと思います。

 

本当に色々考えました。

自分はこの世界で何ができるだろうか、必死に考えました。

しかし、答えは出なかった。

 

そして、2015年2月、私は自分の人生が完全に詰んだと思い、死のうと決断します。

その前に、きっと過去世で悪いことをしたからこうなってしまったんだなと思い込んでいたので、「スピリチュアルって言うの?ちょっと見てもらって納得してから死のう。」と。

それが、180度自分の人生が変わるきっかけだったのでした。