2017年現在、終身雇用や専業主婦という概念は完全に崩れ去りましたが、私の生まれた30年前はそれが当たり前でした。終身雇用を前提とするサラリーマンの父と、父と職場結婚して退職した専業主婦の母との間に第1子として生まれました。

小さい頃から、戦隊ものなどの小さい子が興味を抱く典型的なものに全く興味を示さず、数字や信号機、レンガ造りの壁といったものに異常なまでの興味を示し、親は心配していたそうです。

自ら進んで、毎月「学習幼稚園」を本屋に買い求め、数十分で全ての問題を終わらせて「物足りない」と不機嫌になるような、勉強が大好きな子どもでした。

逆にそれに目をつけた父親に、公文式の算数の教材を紹介されます。

これが大当たりでした。

経緯は覚えていないのですが、幼稚園年中にして小学2年生程度の算数を独学でマスターしており、公文式は普通自分の学年よりかなり低いところから始めるのですが、自分は最初にやる学力チェックテストの出来もとても良かったので、3学年先の小学2年生の教材から始めることになりました。

一番最初の「和が100までのたし算」という足し算の筆算の教材が、とても楽しかったことを覚えています。

二桁+二桁の組み合わせから、20~99までの答えが出てくる。

その魅力に取りつかれていました。

小学校低学年までは、自分は算数の博士になるのだと確信していました。

しかし、その後大きな挫折が待っていたという話は、また後ほど。

勉強は楽しい思い出ばかりなのですが、友達や幼稚園で楽しい思い出は全くありません。

幼稚園は、途中で引っ越しして2つの幼稚園に通ったのですが、最初の幼稚園は先生が厳しく、登園拒否になりかけていました。

毎日泣きながら送迎の幼稚園バスに乗っていたことを覚えています。

特に、「お遊戯会」という名目でペンギンの衣装を着てお芝居をしたのが本当に嫌で嫌で。

お芝居や演劇や俳優が嫌いだという話を前にしましたが、この時のトラウマから来ているものもあります。

最初の幼稚園は嫌な事ばかりだったけれど、あのお遊戯会は本当に嫌だった。。

こんなことをして何が楽しいんだと思った。

それが、その後徐々に大きくなってくる自分と世間の多数派との価値観のズレの始まりだったかもしれません。

転校した先の幼稚園は、とても優しい先生で、馴染むことができました。

でも、自由時間は、友達と遊ばず、画用紙に自分で割り算の筆算の問題を自作して、それを延々と解いていました。

(そこまでするなら公文のプリントを持ち込めばよかったのにと思います。)

幼稚園時代を通じて、「友達」というものが、私の記憶には全くありません。

人と遊んで楽しい、という感覚が、ありませんでした。

厳しかった前の幼稚園では、自由時間は一人園庭の隅っこでうつむいていたことを覚えています。

幼稚園は、2つともキリスト教系の幼稚園でした。

2つ目の幼稚園ではクリスマスにイエス・キリストの生誕を祝う行事をやったのですが、当時から自分は、聖母マリアが異常なまでにあがめられることに強烈な違和感を抱いていました。

やはりどこかで、自分がマグダラのマリアの守護天使であることを分かっていたのでしょうね。

2つ目の幼稚園の先生が、私の初恋の相手です。

とてもとても優しくてきれいな先生でした。

クリスチャンだったのかな?

あれから25年経って、きっともう50歳くらいのおばさんだろうけれど、再会したい気持ちがあります。